ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に活動中のヴァイオリニスト。「バッハからジャズまで」をテーマとした幅広いレパートリーを活かし、「ヴァイオリン独演会」シリーズを全国各地で展開中。2020年3月セカンドアルバム『MONA LISA』リリース。http://yukitakubo.com/

読書日記7 『音楽の危機』

『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日』

岡田暁生 著

 

 

 


 帯には、無人の客席いっぱいに観葉植物を敷き詰めたバルセロナ・リセウ大劇場での弦楽四重奏公演の写真に載せて、「終幕か、新時代か」のキャチコピーが掲げられている。その下には「『集えない世界』の衝撃ーーコロナ後の文化のゆくえは」。

 


 本書は京都大学人文科学研究所教授、岡田暁生氏が「『禍中に考えたこと』をなんとか忘れないように書き留めておくことは、とても重要なことではないか(まえがき)」として書かれた新書だ。

 


 音楽作品においては、ブラームスのように発表後も何度も改訂を繰り返し、その度に出版社まで出向いて改訂前の原稿を取り返すなどする作曲家もいれば、「第何版」「何年版」とエディションを重ねる作曲家もいる。エディションを重ねる時点で、「作品をより良くする方法が見つかったから、変更する」という意志が表明される。「一番良い形を見せろ」というならば「最新版をどうぞ」で良い。前者に相当するのは、ブラームスのような完璧主義者だけかというとそうでもない。金銭的・時間的な理由から、熟考するよりも先に作品を世に出す必要のあるケースはままある。漫画などでも、週刊連載からコミックス収録にあたって加筆訂正するというのはよくあることだと聞く。識者は熟考して論文を世に出すだけでなく、生放送のテレビ番組でその場で意見を求められることの方がむしろ多いだろう。医療や人命に関するような深刻な場面では、識者が公人として意見を発するからにはきっちりと責任ある発言をする。それは当然だ。確証もないのに、「とりあえず今のところはコロナにはコレをこうしたら効くと思う」と発言し、翌週には「やっぱり効果がないことが分かりました。むしろ逆効果なので決してしないように。でも仕方ない、先週はそうだと思ったから」では困る。

 しかし本書のように「コロナ禍における音楽」のあり方と言ったテーマは1年前のコロナ禍初期、渦中にある現在、アフターコロナの未来と、それぞれの段階で見え方が変化してくることは予想がつく。ことに、「オンラインの是非」のようなどちらが絶対的に正解とは言えないテーマならではこそ。その時々、またデフォーが『ペスト』において目指したように、今後発生するかもしれない別の厄災に対峙した時の資料として、「後出しじゃんけん」だけではない、どの時点での考えであるかを明記した手記は価値が出てくると思う。

 

 本書は音楽が不要不急とされた2020年春からの文化的状況から、過去に遡って「芸能人=芸能に生きる者」が社会的にアウトサイダーであった点に注目し、民族の一致を歌い上げているようでいて「仲間外れ」を受容するベートーヴェン「第九」などを軸に「社会にとって音楽とは何か」を考察することに始まり、シャーマンとしての役割をも担ってきた「音楽家の役割について」、三密回避が大前提となったコロナ禍を通して考える「音楽の適正距離」などを通し、オンライン音楽の問題にも斬り込んでいく。最終的に「こんなときでなければ考えられなかった新しい『音楽をする場』を探そうではないか(終章)」と提案する。

 


 私自身の立場から言えば、オーケストラ公演に関してはヴァイオリンセクションの一端として、依頼を受けたコンサートにおいて指示された楽曲のポジションのパートを事前に練習し、公演に当たっては指揮者のイニシアチブに従いながら演奏するということになる。「コロナ禍だからこの曲をやめてこの曲にしましょう」とか、「会場の三密回避のためにこうしましょう」といった、音楽監督やステージマネージャーとしての意見の発信をすることは現在のところ、ない。なので、この一年間もオーケストラ関係者と主催者の工夫と尽力によりいくつかの公演に参加させて頂いてきた。

 では自分で「コロナ禍だからこその音楽のやり方」を考え、決定し、発信した活動は何かというと、ソロ活動のほうになる。それは主にオンラインで行ってきた。一年前は他に全くやりようがなかったことは事実で、当時から「音楽はオンラインで聴くものではない」という意見もあったものの、「生演奏の方が良いのは皆分かっているが、あくまで生演奏の良さを継承し続けるためにオンラインでやるんだ」という意識が強かった。ただ、自分がオンラインを使ってどのように発信するかという立ち位置は未だにはっきりと見つかっていない。

 私はCD録音に関しては比較的はっきりとしたコンセプトを持って挑んでいる。

 その理由を説明するのがこれまで難しかったのだが、本書で岡田氏の言う「インスタレーション」という表現で明確になった。

 拙作『Around the World』も『MONA LISA』も、インスタレーションだったのだ。それぞれCDという「演奏」「レコーディングメンバー」「録音技術」「解説」「ジャケットデザイン」という要素がセットになったパッケージでしか表現しようのないものを作ったのだと思う。

 


 「ヴァイオリン独演会」についても同様で、これは「生演奏を身近に」「バッハからジャズまで」「ヴァイオリンに個性」の三本の柱。微妙な変歴はあるものの、基本コンセプトは6年前から変わらない。

 


 オンラインに関して、まだCDやヴァイオリン独演会ほどはっきりとコンセプトが定まっていない。それを探すためにも、オンラインの外からヒントを探す旅を続けてもいいなと思っている。

 


(2021/04/09-13)

 


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読書日記6 『白い病』

『白い病』

カレル・チャペック 著

阿部賢一 訳

 


 

白い病 (岩波文庫)

白い病 (岩波文庫)

 


 『白い病』は五十歳前後の人間のみが発症し、皮膚に白い斑点が顕れ、やがては腐食し死に至る架空の伝染病だ。大学病院の医療関係者をして、モルヒネしか与える薬はないとされている。

 しかし一人の医師が治療法を発見した。貧しい者には無条件で治療を施すが、金持ちには、しない。彼等には、彼、ガレーン博士の提示する治療法と引き換えにする「たった一つの条件」を動かす力があるからだ。そのために行動しないことには、いくら懇願されようと金を積まれようと、治療はしない。

 戦争へ向かう架空の独裁国家を舞台に、この疫病と博士の条件が迎える結末とは。

 


 ✳︎

 


 デフォーの『新訳 ペスト』然り、昨年から疫病を扱った文学の出版や翻訳が活発になったことは確かだ。

 本書はチェコが誇るカレル・チャペックの1937年に出版された戯曲の新訳で、前出の『ペスト』と同じく2020年に出版されたSF。架空の国を舞台背景としている。

 


 『白い病』というこれもまた架空の疫病拡大を主な背景として物語は進行するが、疫病そのものよりも、資本主義と格差社会高齢化社会と若者の抱く不満、戦争と平和など現代にも通じる社会問題が随所に提起されている。

 


 そして、「群衆」

 


 ペストでも『白い病』でもコロナでも同じなのが、「群衆心理」というものなのだろう。

 最終的に運命を決するのは独裁者の号令や「脅威の疫病の唯一の治療法」という絶対的な力を持つ博士でもなく、「群衆」なのである。

 


 この戯曲を読み終えた時、ふと思い浮かんだ疑問がある。

 


 チャップリンの映画『独裁者』。子供の頃好きだった映画だが、果たしてあのラストは起こり得るのだろうか。

 


 タイトルの中の「病」は疫病そのものではなく、「群衆」という「病」なのかもしれない。

 


(2021/04/08)

 


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