ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に演奏活動をしているヴァイオリニスト。クラシックからジャズ・歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。2015年からヴァイオリン独奏作品を紹介することと、リクエストタイムなどを設けて“生演奏を身近に”をモットーに「ヴァイオリン独演会」を続けている 。

他人の評価

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あのゴージャスな姉妹のお姉様の言葉ですが、この中の6番が最近自分自身に対して感じるモヤモヤをズバッと言い表しているようで、なんだかすっきりしました。

 

6. わたくしも常に、自信とコンプレックスのはざまにいます。けれども、それは他人と自分とを比較することで生じるものではなく、自分の中の理想との関係によるものでしかありません。

 

 

今年は「他者からの評価」を受ける場に出ることが私にしては多かったです。

元々コンクールなどは縁遠かったヴァイオリン人生。
 
コンクールチャレンジは30を過ぎて、得意な分野で演奏のお仕事を頂くこともできてきて、どんどん不安とコンプレックスが増長し始めた時期に始まりました。
 
きっかけは「あの怖い空気の中で弾くことで練習の精度をあげよう」という、モチベーションの点。
 
最初はもう楽屋の空気に飲まれてしまって、やけにハイテンションになって自滅…
前夜は現実逃避のお掃除タイム…
 
なんてこともありましたが、そういうのは、どんどん慣れてきます。どんなに張り詰めた楽屋の空気の中でも、自分自身に集中するということも覚えてきました。
 
そうすると、どうなってきたかというと、とにかく「他人の評価」があまり重要でなくなってきたんです。
 
予選通った! でもあの日の演奏、あんまり納得してない。本選に向けて修正しよう。
 
入選止まりかあー、でもあれじゃ仕方ないな。
 
とにかく、「結果はどうあれ自分自身が納得できたら嬉しい/納得できないと悔しい」という、自分自身が最大の審査員のようになってきました。
 
不思議だけど、他者に評価(特に、入選や合否や点数のような、ドライな評価)を受けないでずっと過ごしていると、自分の評価というのも「お客様から見てどうだったんだろう」といった、他人軸になってくる…
 
そして、評価を受ける場に出るようになると、自分の中で理想像というのがハッキリしていて、当初の目的の評価よりも、自分自身で納得できるかどうかの方が大事になってくる。
 
私に関していうと、そうだったように思います。
 
先日、周囲の人が「良かったんじゃない」と言ってくれても、自分で自分が悔しくて、という出来事がありました。
今まではそこまでハッキリと弾いた瞬間に「悔しい」ということはなかったような。
 
気持ちが落ち着き、整理がついてくると武者震いのような、ゾワゾワしたものが沸き起こりました。
 
これはきっと、他者からどれだけ慰められようと或いは批判されようと、どうにもならない。
自分自身からの冷徹な評価が、納得できる時が来るまで続くんだ。
 
恐ろしいような、楽しみなような複雑な気持ちでした。
 
 
一つ良かったのは、他人と自分を比べて落ち込んだりということがなくなったことです。
 
叶わなくて悔しいのは、自分自身の理想。
 
他人に素直に賞賛の目を向けられるようになったことで、フレッシュで嬉しい感動を貰えることが多くなりました。
 
 
 
YukiTAKUBO; Violine