ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に活動中のヴァイオリニスト。「バッハからジャズまで」をテーマとした幅広いレパートリーを活かし、「ヴァイオリン独演会」シリーズを全国各地で展開中。2020年3月セカンドアルバム『MONA LISA』リリース。http://yukitakubo.com/

ドン・ジョヴァンニ

2月3月は課題曲が多く、忙しいというよりもプレッシャーが多い時期です。
 
そんな中、和装を楽しむのが息抜きにもなり、動作をゆっくりとして心を落ち着けてくれることもあり、友人の結婚式や宴席の演奏など機会があれば積極的に着ていました。
 
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(ふら〜っとでのライブのお手伝い。奥の緑の着物が私)
 
 

また、音楽をプレッシャーでなくこの上ないエキサイティングなものと新たにしたくれたのが、母校、大阪音楽大学の学生オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴きに行けたこと。

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モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」は、私が大学二回生の時に初めて演奏したオペラであり、暗譜で弾けるほど熱中して練習しましたし、日本語上演だったこともあり歌詞もくまなく覚えていました。
 
四大オペラの中でも一番贔屓目に愛しているし、冒頭のショッキングな旋律が劇中終盤に現れる点や、登場人物がみんなキャラクターが立っていて、音楽も様々なスタイルが効果的に組まれており、一曲だけオペラを鑑賞できるならこれ、という存在です。
 

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(オペラハウスのロビーの市掛け時計。校歌や歓喜の歌が流れて休憩中の観客を楽しませてくれました。100周年の記念品だそう)
 
序曲から、大変な気迫の重厚な音と、モーツァルトらしいよくまとまった軽快な音の戯れを楽しむことができ、幕が開くころにはすっかり学生のオーケストラであることを忘れて舞台上の人間模様に夢中になることができました。
 
素晴らしい歌手が歌うと、慣れ親しんだオペラだと懐かしい人に会えたような気分になります。
 
今回はオーケストラもキャストも、良い意味で引っ掛かる所のない名演だったので純粋にストーリーや演出を楽しみました。
 
その中で「おっ」と印象に残ったのは、第二幕のドン・ジョヴァンニのセレナーデ。
マンドリンを持って歌い、通例オーケストラピットの中のマンドリン奏者が音を合わせるのですが、なんとこの日は舞台上のドン・ジョヴァンニの持つマンドリンから音が聴こえてきて、その瞬間客席がざわめきました。
この日のキャストは自らマンドリン弾き語りでアリアを歌ってみせたのですね。
それも歌だけの時と何の遜色もない声で、一段と大きな拍手喝采を浴びていました。
 
こんなサプライズも、学生オペラらしからぬ点。
「ええもん聴いた~」(*^_^*)
 
 
さて、そのように演奏が素晴らしく不安や緊張を感じることがなかったので、今回の最大の感想は、二十歳そこいらの自分が演奏した時と登場人物に対する感想がガラリと変わったことでした。
 
学生の頃は今より世間知らずで、人間同士の愛のもつれやら踏み込んだ感情というものに感じえず、抱く感想といえば
 
「騎士長弱すぎじゃない?」
 
「エルヴィラは何回男に騙されるねん」
 
…などなど…
 
漫才に突っ込むような感想ばかり。
(若い、我ながら)
 
当日配布されたプログラムから、学生さんの書かれたプログラムノートから一部を引用させて頂きます。
さて、現代はネット社会であり、遠くの出来事も目の前に起こったかのような錯覚を起こさせる独特の時代ともいえる。人と人とのつながりも希薄になりつつあるこの21世紀に生きる我々にとって、このオペラからいったいどんな意味を見出すことができるだろう。―高橋暁子(大阪音楽大学大学院音楽研究科音楽学研究室 研究生)

また、彼女のプログラムノートでは「現実離れした主人公や登場人物たち」という表現もありました。

 

今の私はこう感じます。

「現代はネット社会ではあるが、人間の本質は当時から今も何も変わらない。また、このオペラに登場する人物はみなどこかしら『いるいる、こういう人』と知人や或いは自分自身の経験に投影できる人間臭さに溢れている」と。

プログラムノートの執筆者を批判する訳では決してなく、大変素晴らしく書かれた解説なのですが、やはり学生さんの感じ方というのが「若いなあ〜」と、当時の自分の感想も思い出したということです。

ドンナ・エルヴィラが何度も侮辱されても決して主人公を憎めないところ、ドンナ・アンナの強かさ、彼女の婚約者は一見誠実なイケメンなのだけど、なんとなく魅力に欠けると思ったら彼は大体行動より口先の見栄に感じるところ(彼は怪我一つ追っていない)、「いつでも真っ先に逃げることを考える」レポレッロが一番うまく立ち回っていたなあという現実。

「いるわ〜こういう人」、と、物凄く親近感が湧くのです。

そして、そんなどこかヘタレだったり打算的な所が、物凄く愛おしい。

私の好きな落語家の立川談志さんの言葉で、「落語とは人間の業の肯定である」と仰っていて、やっぱり、年齢を重ねると、人間の清廉潔白だったり、理想だけではない、妙にせこい欲望を抱いたり、そのせいで窮地に陥って反省するよりもとんちで切り抜けようとしてみる、そんな「あ~あ」な部分にたまらない愛着を感じるような気がしてきています。

 

イケメンで全てをスマートにこなしてしまうヒーローよりも、モテなくてなんだか損な役回りの道化役が「良いなあ」と感じる。

 

ちょっとオペラと落語は似ているなあと思って。

 

モーツァルトのオペラは特に、損したり理想を貫ききれない人間のことも良く描写されているのも、これだけ長く愛されている理由かな…なんて思ったのでした。

 

私は現代演出よりも、今回のようなオーソドックスな衣装や舞台設定に、ちょっと今風の訳や動作が入っている、そのくらいの演出が好きなのですが、今風にカタログが「歴代の女との写メをコレクションしたスマホ」だったり、石像の銘文ではなく「スクリーンショットを撮ると呪われる」なんて演出も楽しいかなあ、と頭で想像してみたりもして楽しみ、夜は興奮でなかなか寝付けませんでした。

 

演ずる側にいるだけでなく、こうして受ける側も経験することで気分もリフレッシュできました。

 

大阪音楽大学のオーケストラの皆さん、キャストの皆さん、スタッフさん、先生方、本当にお疲れ様でした。

また成功おめでとうございます。

 

ありがとうございました。

 

YukiTAKUBO; Violine