たまには徒然なるままに。
このところ、本を読む時間ができて久しぶりに色々読書。
とはいえ、コロナ渦の間の弾き篭りでいっそうバッハの無伴奏への偏愛が深まったことで、それ関連の本が多いです。
前からヴァイオリン独演会は毎回テーマを決めて、「Around the World」のように曲目を変化させながら一つのストーリー語りを繰り返してきたものが多かったのですが、最近ずっと頭の片隅にあることがあります。
これからは、勇気を持って/あるいは図々しく、バッハの無伴奏をどんどんやっていこうということ。
これまではシャコンヌは100回くらいコンサートで弾いてきたんですけど、シャコンヌ以外も。
これまではシャコンヌで一杯っていうのもあったんですが、弾かなかった時というのは殆ど「遠慮」から来ていて、
「今日のコンサートでは場違いだよね」
「私の演奏でこの曲の価値が伝わらなかったらどうしよう」
という思いがありました。
でも、弾き篭り期間に「これだけ好きで毎日毎日弾いてるのに?」と思ったら、それって
「良いように思われたい」
エゴなんじゃないかなぁ、とも思いまして。
図々しく弾いても、弾かないことで良い格好してもどちらにせよエゴなら、全コンサートのうち一曲は自分の考えを述べる曲目をむしろ入れるべきなんじゃないかなーとも思って。
音楽サロンパルティータを始めて、リクエスト曲には本当に色々な思いが詰まっているんだなぁと、リクエストメッセージから感動を頂いてきました。
それにジャンル問わずお応えするのが私の心情でもありつつ、
「じゃああなたの【人生の一曲は?】」
と言われたら、迷わず答えはバッハなんですよね。
それを自分から発信していくのも大切なことなんじゃないか? と、今思っています。
バッハって、何にでも似合うと思う。
だから、例えば「音楽世界一周」にもドイツとして、時にはスペイン(シャコンヌはスペイン起源)として織り込むように、「今日は謹んでクラシックコンサート」以外のコンサートやライブにどんどん取り入れて、色々試してみたい。
多分、童謡唱歌と並べても全然違和感ないはずなんですよね。正しく曲のフィギュアを捉えて、プログラムを考え抜いたら。
既にジャズにはなる。というより、元祖ジャズじゃない? という点は『モナリザ』でチャレンジ済みなので…
勇気を持って、図々しく偏愛する音楽を弾いて行く。
という、決意表明でした。
田久保友妃