専門書の返却期限が迫ってきてぎゅうぎゅうに詰め込んでるけどそろそろショートミステリーなんか読みたいしもっと欲を出せばゲームしたい
フーガ、という音楽がある。
対位法を学ぶならこのフーガを書けてやっと一人前という存在である。
バッハはフーガの名人だった。フリードリヒ大王がポツダム宮殿でバッハに与えた「無茶振りの主題」を見事に6声のフーガにしたのが「音楽の捧げもの」。
演奏家にとっても、「メロディと伴奏」という風に単純に割り切れないフーガは最高レベルの難易度である。独奏は尚更、合奏であったとしても。
さて「フーガ」がいかに難解かということは周知として、「なぜフーガなんぞという形式ができたのか」。
本書の序章はそうした「そもそもなぜ」という和声楽のセオリーを、心理学的・物理的・哲学的に言葉で(わずかな譜例しか用いずに)見事に説明してある。
本編に入ってからは、該当する楽曲のスコアを用意しなければなかなか理解しにくい。が、本書は序章だけでも熟読する価値がある。
例えば、「ゼクエンツ」という存在。「あるフレーズを高さを変えながら繰り返す」という風に説明されることが多いが、「で、なんでそういうことをするの?」と言われても言葉に詰まる。
本書から引用すると、
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終結の定式であるカデンツの対極に、終わりたくないという意志の定式であるゼクエンツがある。慣性の法則とも言えるだろう。両方とも、調の意識を表現している。しかしゼクエンツは、調を旋律的に描写した音階を用いることで、調があらかじめ存在することを前提にしている。(9P)
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「チャン、チャン♪」の対極の「終わりたくない」という慣性の法則。
これには目から鱗が落ちた。
そうだ、「終わりたくない」のである。それとカデンツ(終わり)が存在するからこそ、音楽には起承転結が存在し得るのだ。
本書の序章において著者のハルム氏は、その命題に彼なりの言葉ではっきりと答えを示している。譜例を引用した本編よりも、この見事な序章にこそ本書の価値が凝縮されていると思った。
「セオリー(事実)の説明と証明」はともかく、なかなか、ここまで明確な「持論」を自分の言葉で語れる者は音楽家の中でも少ないのではないかと思う。
なんでこんなことを覚えなきゃならないんだ?
ただセオリーを丸暗記する一報でこう思ったら、一度この序章は一読してみる価値がある。
(2021/04/05-25)
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ハルム,アウグスト『フーガとソナタ 音楽の2つの文化について』西田紘子,堀朋平訳。音楽の友社,2017年。(原書:Halm, August Otto. Von zwei Kulturen der Musik. München: Georg Müller, 1913)