「練習とは結局不安を無くすのが目的」
ということを書きましたが、2つ補足します。
それは、
「練習でできた以上のことはできない」
ということと、
「練習は裏切らない」
ということ。

「練習でできた以上のことはできない」
当然ですね。
「本番に強い」「本番が一番良かった」ということもありますが、それも当然であって、音楽は最後にオーディエンスという要素が揃って初めて完成するので、練習の間はどんなに上手に弾けても未完成であるということも言えると思うからです。
本番で物凄い集中力や火事場の馬鹿力を発揮して、練習より良かった、ということもあるでしょう。
でも、それは本番目指して練習してきた集大成がそこで発揮されたからであって、
「本番は多分もうちょっと良くなるからこの辺で満足」
というのはちょっと違う気も。
今まで一度も弾けたことのなかった部分を、本番で初成功を期待するのはリスキーすぎますし、また昨日述べたような「不安要素」の一つになるでしょう。
そして、
「練習は裏切らない」
練習というか音楽というか、それに限らず何でもそうかもしれないですが、自分で自分のためにしてきたことは裏切りません。
自分が一番良く分かっています。
何でもがむしゃらに努力しても方向性が違っていたり、むしろ心身共にボロボロになっても、自分ではそれを認められるけど、オーディエンスには伝わりませんから、やり方というのは大事だと思いますが。
ただ、無駄に思えた練習をしても後々反省材料になったり、何かしらの訓練にはなっていたり、生徒さんの気持ちが良く分かったり、全くの無駄ではないです。
オススメはしませんが、劣悪な環境(暑すぎるとか、空気が薄いとか、狭すぎてロクに弾けないとか)で演奏した経験なんかも、「あの時よりはマシ」と思えることで予想外のシチュエーションに落ち着いて対応できたりもしますしね。
最後に
しんどいー、疲れたー、と言ってしまうときもありますけど、結局私は練習も大好きなんです。
本番は、私とヴァイオリンと共演者と、それとオーディエンスと作り上げる時間。
練習は、私とヴァイオリンと、それと音楽との濃密な時間です。愛を囁くこともあれば、愚痴を言い合う時もあれば、一緒に難関を乗り越えてハイタッチしたりもします。
結局、好きだからできることです。
練習時間が取れないと、焦りもするし苛立ったりもしますが、「練習しなきゃヤバいから」というよりは殆ど「ヴァイオリンとのデートができない」のが寂しいからのような感じ。
子供の頃はイヤイヤの練習時間も過ごしましたが、今は親とそれを続けてきた自分に感謝しています。
最近は、自分がヴァイオリンを好きなのと同じ量だけ、自分がヴァイオリンに愛されていると思うようになりました。
だから、メンテナンスや運搬でトラブルないように、などでヴァイオリンを労るのと同じだけ自分を労ることも心掛けています。
YukiTAKUBO; Violine