

また、音楽をプレッシャーでなくこの上ないエキサイティングなものと新たにしたくれたのが、母校、大阪音楽大学の学生オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴きに行けたこと。

さて、現代はネット社会であり、遠くの出来事も目の前に起こったかのような錯覚を起こさせる独特の時代ともいえる。人と人とのつながりも希薄になりつつあるこの21世紀に生きる我々にとって、このオペラからいったいどんな意味を見出すことができるだろう。―高橋暁子(大阪音楽大学大学院音楽研究科音楽学研究室 研究生)
また、彼女のプログラムノートでは「現実離れした主人公や登場人物たち」という表現もありました。
今の私はこう感じます。
「現代はネット社会ではあるが、人間の本質は当時から今も何も変わらない。また、このオペラに登場する人物はみなどこかしら『いるいる、こういう人』と知人や或いは自分自身の経験に投影できる人間臭さに溢れている」と。
プログラムノートの執筆者を批判する訳では決してなく、大変素晴らしく書かれた解説なのですが、やはり学生さんの感じ方というのが「若いなあ〜」と、当時の自分の感想も思い出したということです。
ドンナ・エルヴィラが何度も侮辱されても決して主人公を憎めないところ、ドンナ・アンナの強かさ、彼女の婚約者は一見誠実なイケメンなのだけど、なんとなく魅力に欠けると思ったら彼は大体行動より口先の見栄に感じるところ(彼は怪我一つ追っていない)、「いつでも真っ先に逃げることを考える」レポレッロが一番うまく立ち回っていたなあという現実。
「いるわ〜こういう人」、と、物凄く親近感が湧くのです。
そして、そんなどこかヘタレだったり打算的な所が、物凄く愛おしい。
私の好きな落語家の立川談志さんの言葉で、「落語とは人間の業の肯定である」と仰っていて、やっぱり、年齢を重ねると、人間の清廉潔白だったり、理想だけではない、妙にせこい欲望を抱いたり、そのせいで窮地に陥って反省するよりもとんちで切り抜けようとしてみる、そんな「あ~あ」な部分にたまらない愛着を感じるような気がしてきています。
イケメンで全てをスマートにこなしてしまうヒーローよりも、モテなくてなんだか損な役回りの道化役が「良いなあ」と感じる。
ちょっとオペラと落語は似ているなあと思って。
モーツァルトのオペラは特に、損したり理想を貫ききれない人間のことも良く描写されているのも、これだけ長く愛されている理由かな…なんて思ったのでした。
私は現代演出よりも、今回のようなオーソドックスな衣装や舞台設定に、ちょっと今風の訳や動作が入っている、そのくらいの演出が好きなのですが、今風にカタログが「歴代の女との写メをコレクションしたスマホ」だったり、石像の銘文ではなく「スクリーンショットを撮ると呪われる」なんて演出も楽しいかなあ、と頭で想像してみたりもして楽しみ、夜は興奮でなかなか寝付けませんでした。
演ずる側にいるだけでなく、こうして受ける側も経験することで気分もリフレッシュできました。
大阪音楽大学のオーケストラの皆さん、キャストの皆さん、スタッフさん、先生方、本当にお疲れ様でした。
また成功おめでとうございます。
ありがとうございました。
YukiTAKUBO; Violine