前回、楽譜を読むということ、をスコアをお芝居の台本に例えて書きました。
私は専門ではないのですが、ジャズの演奏もやっています。
ジャズにはアドリブソロというものがあり、総勢50人からのオーケストラ全員の出すべき音がきっちりと楽譜に書かれていたりするクラシック音楽(古典という意味ではなくとりあえず楽譜に沿って演奏するスタイルの音楽をそう呼んで)とはまた異なったものだと考えられがち。
決まった音符の上でいかに作曲家の意図したテンポで正確に演奏しながらその曲の特性や音楽の色合いを出すか、そうしたことが総合的に「個性」となるクラシック。
基本的なテーマとオリジナルコードだけが演奏者と聴衆の間で共通の知識としてあり、どんなテンポやリズムで、コードにどんな和声付けをして、ソロではどんなアドリブを聴かせるのかが楽しみなジャズ。
根本的には変わらないのですよね。
言語がちょっと違う。
音量や音響がちょっと違う。
生まれた時代背景が違う。
でも、出てくるものは同じ音楽。
前回に習ってお芝居でいえば、大音響の映画館で上映する一大スペクタルムービーと場面転換のない一幕ものの舞台の違いみたいなものです。
ジャズにも台本はある
分かりやすく言うと、クラシックには台本があって、ジャズには台本がない、と言えそうですが私はそうは説明しません。
「台本の詳細さと支配力の違い」という方がしっくり来る気がします。
何もドラマにだけ台本があり、それに沿って演技してそれに沿って編集されるのではなく、一般視聴者参加のバラエティにも台本がある。
「ヤラセ」という訳ではありません。
探偵ナイトスクープにも…という記事で見たのは、とあるバラエティの台本は「たった四行」。
大体のタイムテーブルだけが書いてあると。それも立派な台本だと。
妙に納得しました。
最近好きなドラマで、黒柳徹子さんの「トットテレビ」があるのですが、黒柳徹子さんのキャリアの最初の方の時代はテレビドラマも全部生放送。脚本はあるんだけれども、生放送故にドアがバーン! と破壊されて役者さんが血まみれになるアクシデントがあったり、台詞を忘れる人がいたり…
そんなことは日常茶飯事。どうにもならなくなったらADさんが「終」のプラカードを映して強制終了することもあり、役者さんのとっさの機転で切り抜けることも。
ジャズのような、クラシックの大初見大会生中継のような。
さて、ジャズにも台本はあります。全部が全部即興ではありません。
スタンダード曲集ならイメージつきやすいと思いますが、ワンコーラス分のメロディとコードがのった楽譜というものがあります。
楽譜読めない、読まない、そんなもん見て演奏したことない。
というジャズの大家はけっこういらっしゃると思いますが、スタンダードナンバーがスタンダードとしてみんな知っているメロディとコード進行(裏コードで味付けしようがしまいが、それはそれ)が存在する以上はそれが台本です。
私が思うのは、楽譜通り弾くのが弾かないのが何、ではなく、「そもそも、台本というのはストーリーを成立させるために存在している」ということ。
コールアンドレスポンス
…使ってしまった…笑
「コールアンドレスポンス」。
別に何のおかしい言葉でもないのですが、ジャズピアニストの父が誰にでもいつでも言う決め台詞なので、私は何だか気恥ずかしい言葉でした。

(久々に。※おちちゃんは無断転載推奨です)
こういうことですね。
そもそも、音楽のお客さんは(たまに勉強している方でそうされる方もありますが)楽譜を広げて、それにいかに沿った演奏をしているかチェックしたり、聴いた音で正確な楽譜が再現できるかを楽しみに聴いている訳ではないと思います。
そこに再現されるストーリーであったり、音楽の景色を楽しむため。あるいは、見事な達人芸を楽しむため。
お客様にとっては、楽譜なんてどうでもいいのです。
出てきた音が全て。
クラシックの演奏をして、「何やつまらん音楽やなぁ」という感想があったら、「楽譜通り演奏しました。それは作曲家のせいです」ということはできないのです。
お客様の好みに合わなくて「つまらなく感じる」ことはどんな名演でもあり得ますが、そうでなかったら、演奏者の方に多少なりとも責任があります。
楽譜通り弾けたらそれで終わり。
ちゃんとテンポ指示も守ってフォルテピアノの強弱もつけました。
それは、あくまで「台本」。
それでは音声自動案内と変わらなくなってしまいます。
「あるところにおじいさんとおばあさんがいましたおばあさんはやまへしばかりへおじいさんはかわへせんたくにっておじいさんがせんたくなんかい」
ベタなネタですが、こんな棒読みで聞いて面白いでしょうか?
お芝居をする役者さんや、バラエティで会話だけで視聴者を楽しませるタレントさんはどうでしょうか。
台本を踏まえた上で、「この台詞はどんな感情を見せようかな」「どれくらいの間でツッコミを入れたらボケが引き立つかな」考えているはず。あるいは、ベテランで考えるより前に出来るけど、それは過去に様々なことを考え抜いた経験値があるから。
すごい役者さんだったら、お芝居の中の一つのセリフを演じてみせるだけでその場面の情景も、そこに何人の演者が本来いてリアクションを返すのかも、あたかもそれを見ているように表現してしまうのではないでしょうか。(北島マヤみたいな)
本当は。
音楽だって、クラシックだろうがジャズだろうが歌詞のある歌だろうが、ワンフレーズ演奏するだけでそれに続く応答の音や音楽の温度を表せるはず。
たった一つのフレーズでも、どんなテンションで、どんな音色で、どんな歌い方で、というバリエーションが50も100も可能性があり、その中でその瞬間ベストだと思う方法を選択した結果であるはず。
お芝居のセリフに戻ると
「ねぇ、昨日来るなら言ってくれれば良かったのに。突然だからびっくりしちゃった」
前回のセリフですが、この一言、私のような演技ど素人でも、どんな風に読もうか、可能性が50くらい思いつきます。
(実演できるかどうかの技量は別にして)
ジャズのような即興性の高い場面でも、咄嗟にでも5種類くらいの可能性は。
音楽では…
何か唐突にワンフレーズ楽譜が与えられて、どう弾く? という問いかけだったら…
正直に言って、クラシックスタイルでも20、即興では1か2通り思いついたら、というくらいです。
母国語は日本語で、日本語で30年以上物を考え挨拶をし意思を伝えてきました。
日本語はそれなりに操れても、音楽はそれには遠く及びません。
音楽はいわば第一外国語。
大好きな大好きな言葉だから、ずーっと音ばかり頭で考えていることもあるし、人の話は内容よりも口調の方がまずインプットされたりという個性もあるし、たくさんの演奏を聴いて自分でも演じて単語の引き出しを増やしてはきましたが、いきなり予約もしないで入った初めてのレストランで自分の好みの料理と飲み物を注文するまでのような交渉や対話を音楽ではできていないと思います。
台本がどれだけ詳細か、支配力があるか、情報量が多いかは第一ではない。
それによって音にのる会話や演技をして、音だけでストーリーを見せること。
それがまず第一歩であると思います。
母国語でのお芝居でさえ、お金を貰って観客を納得させられる役者さんというのはほんの一握りです。
母国語でない音楽という言語で、観客に物語を見せる音楽家こそ、もっと音楽という言葉を知り、それをイメージ通りに伝えるテクニックを磨き、更に、他の共演者との間や掛け合いをも含めて作り上げるべき。
それが思い通りに伝わったら、結果台本がどんなものであったかは些細なことではないでしょうか。
それが個性で自由。
台本を最初から叩きつけるのではなく、自分が素晴らしいストーリーで演出だと惚れ込んだ台本だからこそ、みっちりと読み込んで咀嚼した上で台本なんか存在しなかったような演技ができたら、クラシック音楽は堅苦しいものでも不自由なものでもなんでもない。
そんな演奏家になりたいなぁと思っています。
YukiTAKUBO; Violine