『45°』
長野まゆみ 著
浮揚員、という言葉をご存知だろうか。
私はもちろん知らなかった。そして、この短編集の中の同題の一編によってその何たるかを知り得た。語り部が私と同い年だったことで、情景からくる郷愁とセットで新たに覚えた言葉だった。
20年くらい前までは、新たに知る言葉の出どころはそんなことだらけだった気がする。
今や、別段興味のない言葉であっても初見だとすぐに『ググる』。意味さえ分かればスッキリする。
この作者の物語は、現実にありそうで、それでいて随所に狐につままれたような気分になる描写が多い。それで、この『浮揚員』なるワードもググってみたが、完全一致する単語はなかった。……。
この時、自分が本よりもGoogleの方を本能的に信用していることを再認識した。そこで広辞苑を引いてみたが、ここにも『浮揚員』なる単語は載っていない。そこで「『浮揚員』自体が創作なのだろうか、それとも造語だろうか」と思いながら短編を読み進める。ますます、実際にあってもおかしくないような、それでいて、本当にそうだったのだろうかと気になるばかりである。
20年前はこれで良かった。そして、自分の中に『浮揚員』というものが存在する曖昧な世界ができあがり、折に触れて思い返したり、夢に見てより一層不思議な存在になったりする。
今の自分はそれでは納得しない。
「いったい、『浮揚員』はいたのか、いなかったのか」とそればかり気になって、更にGoogle先生をスクロールする(どうやら、『浮揚員』と称していたかはともかく、作中で語られる『浮揚員』的なものは存在したらしい)。
職業柄、人にちょっとした解説をすることがある。専門分野の話であればあるほど、「確実に、嘘を言わないように」と気をつけてばかりして、口にしてから慌ててググって顔色を変えることも多い。
親世代の人は、「昔の偉人なんか平気で嘘を並べてた」と言ったりする。
今はそうではない。確かな『エビデンス』が求められる時代でありながら、その『エビデンス』は専門家でないと持っていないような資料でも何でもなく、Googleが使えるなら誰にでも判断ができてしまう。
そんな時代に、果たしてそこまで『エビデンス』、必要なのだろうか。
『45°』を含む全9編は、序盤での伏線が徐々にちょっと怖い予感と共に不明瞭ながら回収されていくものが多い。
時間潰しとしてもサクッと読めるし、不明瞭さを究明するために読み返してもまた解釈が変わりそうだ。
しかし、間違っても「45° 長野まゆみ ネタバレ」でググるものではない。
(2021/03/23-24)
#書評練習
#読書感想文
#読書日記