ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に活動中のヴァイオリニスト。「バッハからジャズまで」をテーマとした幅広いレパートリーを活かし、「ヴァイオリン独演会」シリーズを全国各地で展開中。2020年3月セカンドアルバム『MONA LISA』リリース。http://yukitakubo.com/

読書日記3 『エリック・ホッファー自伝』

こんなにサクサク読めると思わなくて、うっかり半日を費やしてしまった

 

 

エリック・ホッファー自伝―構想された真実
 

 

 


エリック・ホッファー自伝 構想された真実』

中本義彦 訳

 


 この本についてひとつだけ伝えたいことがあるとしたら、【哲学者の自伝書】という小難しい本だと思って敬遠したら損である、ということ。映画『フォレスト・ガンプ』や『ベンジャミン・バトン』が好きな人なら絶対楽しめると思う。

 文字サイズも比較的小さすぎず、各章はとても短くてサクサク読めるし、登場人物や場面が映画のようにバラエティに富んでいる。

 


 これまでの読書日記に点数は付けていないが、この本に関しては星10点中10点満点。

 


 ✳︎

 


 ホッファーは五歳にして不幸な事故から視力と母を失い、視力は十五歳にして回復するが、事故からの十年間家族同然の愛情を注いで育ててくれた女性マーサとも別れ、心の空白を埋めるように読書に没頭し始める。そして十八歳にして父も亡くす。300ドルの全財産を手に「暖かいし、道端にオレンジがなっていて食うに困らないだろう」と考えて単身カリフォルニアへ向かう。

 


ーー両親を亡くし天涯孤独になっても、将来に対する不安はまったくなかった。

 


 というのは、ホッファー家は代々短命で、自身の人生も四十歳までで終わるだろうと考えていたからである。

 


 短命であるということが将来への安心に直結するような少年だった。奇しくも、結局ホッファーの人生はその倍、81歳まで続くのだが。

 


 そして、カリフォルニアに到着すると図書館の近くに部屋を借り、暫くは読書三昧の日々を送る。300ドルが尽きて初めて、「飢え」を知り(結局、道端にオレンジはなっていなかったのだろうか。アメリカ人ではないから分からない)、「労働」の必要性に直面する。

 


 皿洗いと引き換えに食事をさせてもらったレストランで無料職業紹介所を教わり、労働者という世界に身を投じる。最初は芝刈りの仕事を得る(恐らく日雇いなのだろう)。

 聡明で観察眼に優れたホッファー少年は、シャーロック・ホームズの如き慧眼でもって職業紹介所にひしめく労働者の中から、希望の職に選ばれるノウハウを身につける。読書の時間も確保しながら、しばらく上手くやっていたが、アメリカに金融恐慌が訪れ、仕事が激減する。紹介所で得られる仕事はオレンジ売りだけになった。

 ホッファー少年は内向的だったのだろうか、自分が営業には不向きだと考えていたらしい。その通り、最初に訪れた家では一言も発せなかったが、その代わりにその家の野菜箱を整理し、芸術品のようにオレンジを詰めることで評判の売り子となる。給料は売り上げ1ドルにつき25セントという歩合制だったから、なかなか良く稼げたことだろう。雇い主からも期待をかけられ、最初は口も開けなかった彼は次第に営業スキルを上げ、売るためのお世辞もすらすら出てくるようになる。

 


 ここまではビジネスのハウツー本としても充分通用しそうな話である。

 が、稼いだお金を数えている時に突然、「物を売るために嘘もお世辞もすらすら出てくる」自分の精神の腐敗に気付く。

 


ーー私は概して堕落しやすく、そうであるからこそ誘惑を避けることを学ばねばならなかった。

 

 そうして、二度と物売りはしないと決意したホッファーの、季節労働者としての人生が始まるのである。

 


 まるでロードムービーのような人生の幕開け。

 実際、ここまでもそれからも、この自伝はめちゃくちゃ面白い。

 


 自伝と称しつつ、作中で語られるのは殆どが『私(ホッファー)』が四十歳までに出会った労働者との対話や生活である。

 


 倉庫を経営するユダヤ人で、ホッファーと友情で結ばれ、彼にユダヤ民族や旧約聖書へ対する興味を抱かせることになったシャピーロ。全てが対照的な兄弟のレストラン経営者は、ホッファーの観察眼を通せば片一方は明るい資本家、もう一方は『破産したら自分の

失望を毒に変えた革命家になるだろう』資本家と映る。その気になりさえすれば、憲法でもアメリカ合衆国でも築けそうな貧民街の労働者たち。エル・セントロの季節労働者キャンプでは、演芸会のために同僚の元水夫を歌った詩を書き、ドイツ人教授による愉快な講義を出し物として考え出した。飼い犬までが本能的に豚肉を食べなくなったユダヤ教徒。ホッファーにモンテーニュの講義をしてもらうために素晴らしい料理を提供してくれたイタリア人のマリオとは、ムッソリーニを批判したことで訣別した。美しいヘレンとの出会いと別れ。彼女にひき合わせたかったアンスレーは、ホッファーが原因で列車から転落してしまった。季節労働者ホッファーとの出会いによって、貯蓄への情熱を文化支援へと転換した農場主クンゼ。 

 


 結局、他人を認識するのは『私』なのだから、ある人の描写には他人の数だけバリエーションが生ずることになる。

 


 本書においてホッファーは、他人を観察し描写することによって、まさしくホッファー自身の人生観を見事に描き出している。

 


(2021/03/24)

 


#書評練習

#読書感想文

#読書日記

 

 

 

ーー見慣れたものを新しく見せられるかどうかが、創造的な芸術家の指標である。私の場合、運命が芸術家であった。

 


ーー慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠のよそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう。

 


ーーとくに欲しいものを手に入れたときには、幸福などほとんどないというのが世の常である。晩年その生涯を振り返った偉人たちの多くが、次のような事実を発見しているーーたとえ幸福な瞬間が何度あろうと、それは満たされた一日を意味するわけではなかった、と。

 


ーー私のいう仕事とは、生計を立てるためにする仕事のことではありません。われわれは、仕事が意義あるものであるという考えを捨てなければなりません。この世の中に、万人に対して、充実感を与えられるような意義のある職業は存在していないのです。自分の仕事を意義深いものにしてくれと要求することは、人間の見当違いだと、かつてサンタヤナは言いました。産業社会においては、多くの職業が、それだけを仕上げても無意味だとわかっている仕事を伴っているのです。そういうわけで、私は一日六時間、週五日以上働くべきではないと考えています。本当の生活が始まるのは、その後なのです。

 


エリック・ホッファー