読まないといけないと思っていたもののなかなか気が進まなかった。
昨年10月に刊行されたばかりのこの新訳版に出会えて良かったと思う。
とても読みやすく、考証にも注意深さが伺える。
『新訳 ペスト』
中山宥 訳
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災厄の街ロンドンにて
時いま1665年
奪われし命、十万余あり
されどわが命、まだここにあり
H.F.
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中山宥氏によるこの『新訳』版は2020年10月に発刊されたばかりで、文章が今風で大変読みやすい。
「菌」の概念がなかった当時の背景を考慮した言葉選びなど、とても丁寧で、また、今だからこそたくさんの人の参考になるようにとの願いが感じられる訳書だった。
中山氏によると、『人類が初めて細菌を発見したのは本書で描かれるペスト禍から10年後の1674年。さらに200年後の1876年になってようやく「感染症は細菌によって引き起こされる」と実証され、それを受けて北里柴三郎らがペスト菌の正体を突き止めたのは実に1894年のことだった』とある。
当時は飛沫感染という概念ももちろんないから、マスクをするだとか、手指の消毒をするなんて知識はない(いや、ペストマスクというものはあった。が、感染者が飛沫を飛ばさないためではなく、仮装としか思えないような奇抜なデザインの面に、感染を防ぐため、香辛料を詰め込んだという代物だったはず)。
本書のペスト禍当時、消毒のため公的に取られていた措置とは、街角で焚き火をすることだった。当時から賛否両論で、「効果がない」「かえって有害」「炭ではなく樅や杉の、樹脂が燃えるときに強い臭気を発する薪なら効果的」「硫黄や油脂を燃やすべき」などなど。
ペスト流行の初期から流行後までの膨大で克明な記録の中には、ほとんど現代の医学に通じるような認識も見られる。例えば「潜伏期間」に関する記述など。
しかし、本書の語り手にせよ、当時の医者にせよ当局にせよ、焚火消毒、香辛料を詰めたマスク、潜伏期間、家屋封鎖、それらのどれが正確でどれが不正確なのかの判断がつかなかったのだろう。
語り手は、「将来またペストや似た疫病が流行したときのために」と随所に記している。
我々一般人が今本書から学ぶべきは、疫病に対する当時の手探りによる対処法そのものではなく、疫病流行下における精神のあり方であると思う。
『ロビンソン・クルーソー』でも信仰が鍵になっている描写があったように思うが、本書でも良心的な行いの判断基準として、かなりキリスト教徒として正しい行いをしているかどうか、という点に重きがおかれている。(疫病そのものすら神の裁きであるとされている)
キリスト教徒である必要はない。ただ捨て鉢になって、もし自分が感染しているならば暴力的だったり、他人に片っ端から伝染してやれという考えに走ったり、目先の自由のために感染を隠すのが冷静な行いとは言えない。その程度の知識は現代人ならキリスト教徒でなくとも持っている。
現代のコロナ禍にある私達は、本書の中で冷静に行動した者とそうでない者を客観的に眺めることで、今どのような振る舞いをするのが正しいかを考える基準とすることができると思う。
ちなみに、本書で一番驚いたのは訳者による解説の中。知らなかった。ヒントは冒頭に引用した序文。
(2021.03.24-28.)
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