ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に活動中のヴァイオリニスト。「バッハからジャズまで」をテーマとした幅広いレパートリーを活かし、「ヴァイオリン独演会」シリーズを全国各地で展開中。2020年3月セカンドアルバム『MONA LISA』リリース。http://yukitakubo.com/

読書日記18 『ふろしき文化のポスト・モダン』

 

 

 




『ふろしき文化のポスト・モダン―日本・韓国の文物から未来を読む』李御寧,1989年,中央公論新社

 


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「一本の線のみでは意味は生まれない」「これに表現を与えるためには二本目の線を引いてやる必要がある」ドラクロワ(26)

 


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 日本の大学で教鞭を取る韓国人の著者による、かつて日本人と韓国人がふろしきを鞄に変えたことが「西洋の近代文明化」であり、「韓国と日本の適当文化」が鞄という形の決まったものに押し込まれたことから繰り広げる比較文化論。

 


ロラン・バルトは「ノアの箱舟」を「世界の所有の始まり」と呼んでいるが、正確にいえば西洋の近代文明、つまりふろしき文化に対立するカバン文化の始まりとして捉えなければならない。”(17)

 


 ふろしきはなんでもかんでも包むことができる。包むものの形も限定しない。しかし、かつてランドセルが登場したころの日韓人にとっては、ふろしきは田舎臭さの象徴であり、ランドセルを背負うことは都会的な憧れの姿だった。

 しかし、一旦ランドセルを背負ってみると、その融通の効かなさと、中身が空のときでさえ持ち主よりも強い存在感でそこに居座るという融通の効かなさを含むものだった。

 


 “韓国語、日本語の非論理性とは、融通性が多いということである。なにも恥じることはない。論理は数字でコンピューターの人工語で話せ。言葉は「カゲン」でしかとらえられない幽玄さをもつべきである。(119)”

 


 “いい加減なもの、曖昧なものを計るのが、本当の意味の科学である。いま盛んにコマーシャルの言葉にも登場してきたファージというキー・ワード、それこそ近代人の目ににらまれた「加減文化」の落とし子ではないか。(120)”

 


 少し前から、韓国は分からないが日本ではなかなかのふろしきブームが到来している。スカーフとしても使えそうな美しいモダンな柄のふろしきがアパレルブランドなどからも展開され、包み方に関する書籍も次々と出版される。

 本書の出版は1989年。子供心に、世間はジュリアナだマハラジャだとバブル一色で、とてもではないが今のように「エコで便利なふろしきをおしゃれに活用」なんて時代ではなかったと思う。そんな時代に、今のふろしきブームと共に語られるフレキシブルさにいち早く着目した著書ではないだろうか。

 個人的には、今の韓流アイドル韓流メイクとは異なった昔ながらの韓国文化に触れられたのが興味深かった。

 


(2021/06/29)