ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に活動中のヴァイオリニスト。「バッハからジャズまで」をテーマとした幅広いレパートリーを活かし、「ヴァイオリン独演会」シリーズを全国各地で展開中。2020年3月セカンドアルバム『MONA LISA』リリース。http://yukitakubo.com/

読書日記20 『管理社会の音楽』

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ウルリヒ・ディベーリウス,渡辺健 訳『管理社会の音楽』音楽之友社,1979年(Dibelius, Ulrich. 1971. Verwaltete Musik. München: Carl Hanser Verlag)

 


「一体啓蒙はどこからはじめたらよいのか? 一体どこで、批判の半分でも理解してくれるのだろうか?」(15)

 


 ※

 


「『管理された音楽』という、アドルノによる啓発が語られる一方で、はっきりしたアドルノ批判が随所に見出される」(訳者,193)という、東西分裂時代のドイツで書かれた八篇の論文集である。

 

 理解するには難しくて到底書評などは書けそうにないから、各論文の題名と気になる部分の引用のみ挙げる。

 


 理解はできなくても、「国家は音楽をどのように保護し、また音楽家は保護されたとして発展するべきなのか」「音楽は商業との切れない関係をどう認識すべきか」といった問いが、マルク時代のドイツもコロナ禍の現代日本でも大差ないのが面白いところ。

 日本においては、コロナ禍がために小さな団体や個人でも文化活動のために助成金を得やすくなったために余計似てきたのかもしれない。

 


 多分、こういう問題を活字とだけ顔を突き合わせて考えていると、生身の人間を置き去りにしてしまう。ただ、本論でゴッドヴァルドが「音楽家は、考えることをはじめたら音楽から疎外されるのではないかと恐れている。考えることこそが音楽そのものに近づくことであろうのに。」(116)と述べるように、「こういうのは批評家の人に任せますね」と割り切ってしまうのは大変危険な気もする。

 問題なのはバランスだ。

 


 論理的に音楽を説明することも、ひたすら美しい演奏もできる先生が、まるで自身にも言い聞かせるかのように時々、「最終的には音で語りなさいね」と言うように。

 


 ※

 


ハンス・G.ヘルムス『現代音楽の経済的条件について』pp. 17-58

 


 「作曲家は自分の作品においてこれらの条件(その作品の演奏と流布に影響をおよぼす経済的圧迫と、演奏者や聴衆との間に生じる問題など)に抵抗を示すことはできるが、しかしそれらから逃れ去ることはできないし、また、自分の作品を、悪用に対して免疫にすることもできないのである。ところでそれは、最も重要なものを、要するにそこにあるものと見なしての話である。最も重要なものとは、音楽的教養をそなえた聴衆、つまり、市民的特権をあたえられた聴衆である」(22-23)

 

 

 

ウルリヒ・シュライバー『不壊なるものは詩人が建てる ーーラインールール地方の例に見るオペラ状況の注解ーー』pp. 59-74

 


 東西分裂時代のドイツにおける、「オペラの危機」(60)問題を論じる。「供給と需要との顕著な相違は、ゲンゼルキルヒェンにおいて、市議会の先生方が近隣諸都市に先がけ、第二次世界大戦後の文化政策がどれほどまちがっていたかを認識するという結果を生んだ。」(62-63)

 

 

 

ヴォルフ・ローゼンベルク『指揮者ーー礼拝とポーズのあいだの権力』pp. 75- 84

 


 「管理階級組織のなかで、音楽の再生産にたずさわる人々のいちばん頂点に立っているのは指揮者である。そのことは、彼らの権力的地位からも、また、それと相互作用の関係にあるところの、世間すなわち公衆と音楽批評とがやさしく相和して彼らにたてまつる礼拝からも明らかである。」(76)と冒頭で定義される指揮者とは何か。主に「自分のおこなうことにおいて営業を葬り去った」(84)トスカニーニを例に考察する。

 

 

 

ヴォルフガング・ハム『市民的音楽教授施設』pp. 85-97 

 


 現代音楽の発展とともに、仕事の分割、専門化、完全化、ならびにごくかぎられたせまいレパートリーの保持は、疑わしいものとなった。くわえてさらに、技術的な革新としてレコードおよび磁気録音テープによる音楽再生の可能性が生じ、それによって生産と受容の条件は決定的に変わった。新音楽は、演奏家を単なる再生産者の役割から解放し、ともに責任をもつ自立的な「創造者」として活動させる傾きをもち、他方、「ある演奏家の仕事がひとたびレコードに固定されれば、その仕事がさまざまな場所でくりかえし再生産されるのは余計なこと」となる。(87)

 

 

クリュトゥス・ゴットヴァルト『ドイツの音楽学 ーー一つの報告ーー』pp. 99-116 

 


「決定権をもっている者たち、大学人や音楽学者に対して、音楽家は警句で復讐する。彼らは宦官と似たようなもので、どうしたらできるかは知っているが、みずからすることはできないのだと。こうした警句は、生産過程の感覚的な直接性から離れていることを、事柄それ自身から離れていることと混同するという誤ちをおかしている。(…)オーケストラにおいて、饒舌な指揮者ほど信用されないものはない。音楽家の警句は、教師と指揮者の違いを定義して、次のように言う。教師は饒舌に饒舌を重ねて、それでも駄目だと殴るが、指揮者は殴りに殴って、それでも駄目だと饒舌に移ると。音楽について語ることは、音楽ができないことだと告発されるのだ。(…)音楽家は、考えることをはじめたら音楽から疎外されるのではないかと恐れている。考えることこそが音楽そのものに近づくことであろうのに。関係の一番近い人々にも自らを了解させることができないという音楽学の矛盾は、自らを相手に適応させることによっても、また自らの努力を何にもめげずに拡大することによっても解決できないであろう。解決はおそらく、音楽学研究の社会的意味を反省することを通じてのみ可能である。疎外への反逆は、疎外をつくりだす諸関係への反逆としてのみ希望がある。そうなってはじめて音楽学は、今まで幾度も徒労におわった貢献を、実戦に対してすることができるであろう。」(116)

 

 

 

ヴィリー・ホーホケッペル『ジャズと「管理社会」pp. 117-138 

 


「ジャズを正当に評価するには、ジャズが自由市場で自己を主張せねばならないという事情を考えねばならない。それが、いわゆるE音楽[Ernst Musik. 原義「まじめな音楽」日本でいうクラシック音楽がこれにあたる]との大きな違いなのである。大交響楽団は、ヨーロッパでは、地域あるいは国家から助成金を受けている、音楽家はサラリーマンかむしろ官吏であり、指揮者はスターであって、自分の巨大な財産蓄積を何か辺縁的なことのように見下す自由がある。」(124)という、頷くしかないことを言い切った上で、当然起こるであろう反論にもこう続ける。「作曲家の事情は確かに苦しい。だが彼らも、すくなくともほぼ規則的な間隔をおいて、何らかの芸術賞をあてにすることができる。E音楽は全領域にわたって、最高の芸術として公共的に神聖化され、学問的に確立され、国家的に推進されている。この音楽にとっては、市場は副次的な意味しか持たない。」(同)


「いつも形式を拡大することに意を用いていたデューク・エリントンは、彼の音楽がヨーロッパ的要素とジャズ的要素の新しい統合になるうるかと、数年前に例のお節介な様子で訊ねられたとき、断固として『私がやっているのは大衆的な黒人音楽です』と答えた。この彼の言葉は真面目に取るべきだろう。ジャズをむきになって知性化しようとするのは、ジャズに似合わないし、すべてを消化し平準化する文化産業からジャズを救うことにも全然ならない。」(135)


「誘惑的で驚異的な商業化にはジャズもまたさらされているが、これを免れるためには、ジャズは音楽自身に基礎をもつ質に思いを致さねばならない。というのも、「管理された社会」にとって、異質で対立するものと言っては、取引を許されない固有の法則性としての質をおいてほかにないからである。そして同時に、質こそは、反芸術でさえある芸術に残された、プロテストの唯一の形式である。」(136)

 

 

 

コンラート・ベーマー『失われた同一性を求めて』pp. 139-166

 


「芸術産業が独占化するのに応じて、イデオロギー的産物の競争関係の見かけが必要になるからである。ーーそれはちょうど独占コンツェルンが、同じ製品にさまざまな名称をつけて売りだすのと似ている。だが作曲家たちは、音楽消費者と同様、自分のイメージを信じているのだ。

 フロベールは、彼のブルジョア教養小説『ブヴェールとペキュシュ』に「気のきいた意見のカタログ」を挿入したが、その筆頭にアベラールが挙げられている。会話の時にはアベラールの話をするとよい。「彼の哲学などまったく知らなくていいのです。彼の著作の題を知っているのも余分なくらいです。フュルベールが彼を傷つけたことを、さり気なくほのめかせばよろしい。」(166)

 


ウルリヒ・ディベーリウス『広告としての批評』pp. 167-187

 


「現在支配的な演奏会やオペラにおいて、音楽批評がどのような役割を演じているか想起してみるべきである。そうすれば、音楽批評が何の機能もはたしていないとか、だからして不必要であるとかと簡単には主張しえないことがわかる。」(170)

 


(2021/07/05)