ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に活動中のヴァイオリニスト。「バッハからジャズまで」をテーマとした幅広いレパートリーを活かし、「ヴァイオリン独演会」シリーズを全国各地で展開中。2020年3月セカンドアルバム『MONA LISA』リリース。http://yukitakubo.com/

読書日記22 『サラエボのチェリスト』

 


ティーブン・ギャロウェイ,佐々木信雄訳『サラエボチェリスト』2008年,ランダムハウス講談社

 


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 1992年5月27日、ボスニア内戦下のサラエボ、バセ・ミスキナ通りで22名が迫撃砲弾の犠牲になった。水も電気も食料も全てが不足していた中、なんとかその日のパンを手に入れようと並んでいた市民である。

 悲劇の後、サラエボ交響楽団主席チェロ奏者であるヴェドラン・スマイロヴィッチは〈アルビノーニアダージョト短調〉を一日一回、22日間、犠牲者と同じ数だけ演奏をした。本作はその実際の出来事をヒントにしたフィクションではあるが、アローやケナンといった架空の登場人物にはこの内戦に関わった人々のリアルな日常と心理が投影されている。

 悲劇の犠牲者を追悼するために音楽を演奏する。当たり前の行為に思える。しかし、いかにこの物語がフィクションとはいえ、彼がチェロを構えた場所やその状況を知ると、いかに自分が実際の戦争を知らずに物事をイメージしているかを感じて言葉を失う。彼がチェロを弾いたのは、パンを買うのが命懸けの場所だったのである。

 この小説がフィクションである以上、結末に触れることはできない。が、これはいわゆる音楽で悲劇を語る類のストーリーではない。訳者があとがきで述べたように、「ボスニアの憎悪に歯止めをかけ、なにかを成し遂げようとした」人間の存在を語るものだ。極限下の状況での、人間のありかたを問う一冊であり、コロナ禍の現在にも通じるものがあると言える。

 

 ちなみに、この物語のきっかけとなる有名な〈アルビノーニアダージョ〉は「アルビノーニ作」と一時は信じられていた。実際には1945年に焼夷弾で焼けたドレスデン音楽図書館から楽譜の一部が発見され、後世の学者によって補筆されたものである。

 


2021/08/17