わたくし事ではございますが、先日、母方の祖父が他界致しました。98歳の大往生で、直前の秋までデイサービスに通ったり、入院してからも母たち娘、私たち孫に交流の時間を与えてくれました。
また文筆の方面でもたくさんの方に詞を書いたり、何度かブログやライブMCで触れた「ラ・クンパルシータ」に関するエッセイなど、たくさんの作品を残してくれていました。
本当に本当に天寿を全うした生涯でした。
ここで改めて、祖父のエッセイ(抜粋)を掲載させて頂きたいと思います。もし宜しければどうぞご一読ください。お持ちでしたら「Around the World」11曲目のラ・クンパルシータと共に。下に動画も掲載しました。
ラ・クンパルシータに寄せて~母の日に母を偲ぶ~(抜粋)
里見高義
朝霧は雨ともなりぬカンラオンふもと静かに人焼くけむり
フィリピンのネグロス島で従軍中の昭和二十年四月十日に野戦病院が開設されることになり、わたしは照国台(現地名バタグ)の病院本部へ転属していくことになりました。
戦闘が激しさを増すと、すでに糧秣は底をつき、毎日百名を越す入院患者を受け付けていたわたしは、ひどい栄養失調になりました。
(中略)その夜更けに入院患者が「おっかあ、おっかあ」と母親を呼び続けていました。多分脳症を併発してしまったのでしょう。この人は降りしきる雨に濡れながら息絶えてしまいました。
巨木の下枝から垂れる雫の数々が幕舎を叩きます。強く、弱く。弱く、強く。落ち続くその点滴は、時にスロー、時にクイックであり次第にモデラートで緩やかな調子におさまってくるようです。その特性的なリズムと管弦編成の調べは、か細いわたしの体内に浸透し拡散し、泡沸模糊とした意識の中で再び新たな境地を拓いて、現実に蘇ろうとする心情を強く刺激してくるのです。
あすか、あさってか、いずれ近々に冥土へ召されるであろうことを予感しながら、遥か海のかなたに棲む母の幻影を追い求めてみることでした。
点在する骸に挟まったまま、心静かに目をつむり、そして知る限りの母の面影を追い求めようとしました。夢は色彩を伴わないという一般論を越えて、わたしが描く母の映像は美しく優雅な色調に満ち溢れていました。
母若きその年代から徐々に年老いてくる。わたしの脳裡に止まって堅く保持されている母のすべての姿態が、次ぎつぎと再現されてくるそれは……母の生涯の仮装の独り舞台でもありました。
大正十年生まれのわたしは今年喜寿を迎えます。しかし、この年齢にも拘わらず、あのラ・クンパルシータの演奏を耳にするとなぜか立ち止まってその曲へ耳を欹てて聴き入ります。と、不思議に憑かれたかのように、母と共にいるテンダー(柔らか)で静かな幸福感に浸ることができるのです。ずっと昔の、あのネグロス島のマンダラガン山中での体験をいまだに引きずっているかのようにです。
(飛鳥出版室発行『母への感謝』より 一九九七年十一月三日)
この曲は祖父の命を繋ぎ、私が生まれることができた音楽の奇跡の力を持っていると信じています。
音楽が生きる力を与えることもある、ということを祖父の言葉と共に今後も伝えたいと思いますし、それが祖父母に対してできる唯一の恩返しになると思ってます。
ですので、もし弔意を表してくださる方がいらっしゃいましたら悲しみよりも祖父のエッセイ読んでやってください。国会図書館には自費出版の本『犠牲 里見高義著』もありますので、機会がありましたら。
また、仕事の上はとも思いましたが、本年は祖父母共に大往生の年でしたので、新年のご挨拶は控えさせて頂きます。
田久保友妃