Keil, Charles. (1984) Music Mediated and Live in Japan. Ethnomusicology 1984, vol.28, pp.91-96
今回は論文。6ページの短い論文だが、英語で読み切るのはなかなか気力が必要だったので読破記念。
アメリカの民族音楽学者である論者は、そもそも自分がここ数年、全てのメディアに対して嫌気がさして遠ざけているという立場を明かしたうえで、1980年代(本論の4年前)に日本を訪れ、神社の祭り、盆踊り、チンドン屋、スナックのカラオケという四つの場面での「録音音源と生演奏を併用した音楽」に衝撃を受けたこと、そこから受けた印象や疑問について持論を展開し、最終的に「今世紀に衝撃を与えた録音音楽とここ10年の録音と生の併用音楽演奏スタイルこそ、民族音楽学者が最優先に考えさらなるリサーチをすべき領域だ」と結論付ける。
私自身、時にヴァイオリンの生演奏にカラオケ音源を合わせるというスタイルをとることもあり、他人事とは思えず大変面白く読んだ(英語の読解は別として)。特に1980年当時のチンドン屋が直面していた問題と妥協案は2020年代の演奏家である自分の状況とほぼ一致する。
変わることがない。現代であれば、ここに動画の生配信という案件が加わるだろうか。
アメリカ人の論者にとって、「クローゼットのスター歌手」の姿はかなり奇異にも興味深くも映ったのだろう。
そういえば、数年前ウクライナで「カラオケ」の看板を見かけて、どういう店なのか尋ねたのだがウクライナの「カラオケ」はスナックスタイルであり、カラオケボックスに相当するものはないらしい。
論文というよりはエッセイのような内容で、「a shrine where veterans of World War II were commemorating the dead. Strings of yellow lanterns, ...(92頁、おそらく靖国神社のみたままつり)」「Each small bar tends to have a steady clientele and regular patrons often have a personal bottle of whiskey behind the bar with their name on it(94頁、もしかしなくてもボトルキープのあるスナック)」など、日本人には「ああ、あれ」とすぐピンと来る、ついでに英語での表現が何となく面白い内容ばかりなので、英語に抵抗がなければ一読の価値あり。
原文は以下に掲載されている。
論文発表から37年。論者の持論は今やいかに。ついでに、今再び日本を視察したならば、カラオケがスナックのみならずカラオケボックス(ヒトカラあり)まで拡大しつつある変化をどう捉えるのかぜひ聞いてみたい。
(2021/05/02)
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