ヴァイオリニスト田久保友妃のブログ「四絃弾き。」

関西を中心に活動中のヴァイオリニスト。「バッハからジャズまで」をテーマとした幅広いレパートリーを活かし、「ヴァイオリン独演会」シリーズを全国各地で展開中。2020年3月セカンドアルバム『MONA LISA』リリース。http://yukitakubo.com/

読書日記21 『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』 

 

 

 

能登原由美,2015『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』春秋社

 

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 広島、長崎、ではなく「ヒロシマ」「ナガサキ」と表記するときは、被爆地としての意味合いを持つ。

 本書もやはり、被爆地「ヒロシマ」にまつわる音楽(「ナガサキ」も含む)を題材としている。

 


 著者の能登原氏は広島出身の音楽学者で、批評も行う。もともとはイギリスのルネサンス期の音楽を専門にしていたが、「ヒロシマと音楽」委員会との関わりから、この分野の音楽についての研究を20年以上に渡り行ってきた。本書はその集大成でもあり、ヒロシマナガサキ、または戦争に止まらず音楽と社会の関わりから、作曲家が新たな音楽を生み出す意義にまで踏み込んだ良書である。

 


 戦争と音楽、と聞くと、どうしても政治的な意味合いや教訓めいた印象を強く受ける場合があるかもしれない。だが、被曝世代ではない筆者はそうした先入観のないフラットな視点と、常に読者の興味を絶やさない巧みな構成力で、「音楽そのもの」に対する新たな関心の切り口を提供してくれる。

 


 近年、「ヒロシマ」の音楽といえば、2014年に(悪い意味で)一世を風靡した《交響曲第一番「HIROSHIMA」》が真っ先に思い出される人があるかもしれない。実は本書は、この作品についてもちゃんと言及している。本作品の存在が「無かったこと」にされていないという点は重要だ。その視点が単なるゴーストライターや経歴詐称の可否などにはなく、「作曲指示書」の存在やその中身と「ヒロシマの型」の分析がなされてあり、ニュースや噂話によって誘導され抱いたイメージを再検討するきっかけを与える。筆は他に、作曲技法の点から西洋音楽史上重要な作品として知られるペンデレツキの《広島の犠牲者に捧げる哀歌》や、邦人作曲家による作品から戦後の「うたごえ運動」にまで及ぶ。

 その中で中核を成すのは、1955年に広島で日本初演されたフィンランドの作曲家、エルッキ・アールトネンによる「ヒロシマ・シンフォニー」である。世界初演は1949年のヘルシンキで、1800曲以上もの「ヒロシマ」に関する音楽を見てきた著者をして「『ヒロシマ』を題材をする作品のなかでも最初期に位置付けられる」作品でありながら、この作品は作曲者の名前とともに存在自体が幻と化していた。筆者は彼とその作品に関する情報を求めてフィンランドにまで調査研究の手を伸ばし、本作品の初演からその後の経緯をかなり明らかにしている。この努力が、2015年、日本では実に60年ぶりに「ヒロシマ・シンフォニー」が再演されるきっかけにつながったのだ。

 ここまで一つのことを突き詰める熱意と根気には全く頭が下がる。そのような情熱を内に秘めて研究に打ち込みながらも、全編を通して筆者の視点はあくまでフラットに保たれている。なおかつ、音楽家の活動に対しての敬意は常に忘れない。このどちらかが欠けているために何かを見落としてしまっている音楽批評が何と多いことかと、改めて感じさせられた。能登原氏はこの点において、インタビュアーとしても非常に優れていることが予想される。だからこそ、本作にも登場する作曲家でフルート奏者でもある川崎優は、通りいっぺんではない重みのある言葉で音楽と被爆体験について語ったのではないだろうか。

 そして、文章がやはり上手い。ここに述べられていることは学術論文としても十分価値を持つ内容でありながら、全体の構成と巧みな文章によって読み手を惹きつけて離さない。一章ごとがかなりの情報量にも関わらず、次章の冒頭が目に入るとつい読む手が止まらなくなり、結局一冊を一気に読んでしまう。

 この巧みな構成は、大型交響曲や長編オペラの作曲技法にも通じる。個人的に、自分の興味を持った楽曲や自身のコンサート・プログラムを記す事は好きで良く書くのだが、長文の構成となると、やはり上手い人は上手い、と痛感せざるを得ない。

 

 能登原氏の手にかかると、演奏批評もかなり面白くなる。

 例えば、ヴィキングル・オラフソンのCDレビュー。

 

注目の一枚|ヴィキングル・オラフソン『ドビュッシー・ラモー』|能登原由美 | 

 ドビュッシーとラモーの鍵盤曲という、自分から興味を持つことがなさそうな分野の演奏に対して、このレビューを読んですぐに聴いた。このレビューの文末において能登原氏は「こうした音楽ならではの側面を追求、あるいは『再創造』できる奏者がいる限り、レコードやCDといった聴覚的媒体も、決してなくなることはないだろう」と締めくくっているが、読者からいえば、このように音楽聴取の楽しみを新たに感じさせてくれる批評が提供され続ける限り、音楽が衰退することもない、と思わせてくれる。

 


(2021/07/28)